チーム紹介【中日ドラゴンズ】

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私、ゆで卵が大好きなの!

へぇ~。坂東英二みたいだね!

やだー。あんなおじさんと一緒にしないでよ!

失礼じゃないか!坂東英二も昔はスゴイ野球選手だったんだから!

え?あの人野球選手だったの?

・・・

球団の歴史

球団は、1936年に新愛知新聞社が親会社となり「名古屋軍」として誕生しました。
その後、親会社の合併などにより球団名は変遷していくが、当時の選手は工場で働きながら試合を行うという現在の社会人野球のような形だった。
1947年からは、当時の球団オーナーの干支が辰だったことで球団名に初めて「ドラゴンズ」を称すこととなる。それ以降、冠の企業名は変わってもドラゴンズという名称は変わることなく使われ続けている。
球団創設時から、愛知おもに名古屋を本拠地として活動しており、1997年にはナゴヤドームも完成。現在もなお東海地方のドラゴンズファンを熱くさせている。

◆球団名の変遷◆
1936年~1943年:名古屋軍
1944年~1945年:産業軍
1946年:中部日本
1947年:中部日本ドラゴンズ
1948年~1950年:中日ドラゴンズ
1951年~1953年:名古屋ドラゴンズ
1954年~:中日ドラゴンズ

過去の成績

優勝回数

  リーグ優勝:9回
  日本一:2回

過去5年間の成績

  2018年:63勝78敗2分 5位
  2017年:59勝79敗5分 5位
  2016年:58勝82敗3分 6位
  2015年:62勝77敗4分 5位
  2014年:67勝73敗4分 4位

主な所属選手

落合 博満(1987年~1993年)
プロ野球で唯一通算3度の三冠王を獲得。
中日へは1986年のオフに1対4のトレードにより移籍。移籍後もその確実性と長打力を武器にタイトルを多数獲得した。また、FA制度が出来た1993年オフに同制度を使って巨人へ移籍したのも当時の大きな話題となった。
引退後は、中日の監督を務め、8年間で日本一1回、リーグ優勝4回と黄金時代を築いた。

谷繁 元信(2002年~2015年)
捕手として2937試合を出場したのは、歴代のプロ野球選手で谷繁のみ。
また、2000本安打をはじめ、3000試合出場など輝かしい記録を保持している。
1989年から13年間大洋&横浜でプレーしたのち、FAで中日に移籍。落合監督の元、黄金時代を築いた正捕手かつ名捕手。

本拠地情報

本拠地球場

 ナゴヤドーム(愛知県名古屋市)

アクセス

地下鉄「ナゴヤドーム前矢田駅」より徒歩5分
JR・名鉄 「大曽根駅」から 徒歩約15分
※アクセスの詳細はこちら

マスコット

ドアラ

野球ファンでなくてもドアラは知っている。という人が多いほど知名度が高いドアラ。
独特な動きやフリップでのトークがファンに愛されている。
また、試合の終盤にドアラがバク転をするコーナーでは、その成功により球場の雰囲気が変わることがある(ただし、成功率はそれほど高くない)。
ドアラグッズは人気で選手のグッズよりも売り上げが多いとも言われている。

球団歌

燃えよドラゴンズ!
(作詞・作曲:山本 正之)

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感想(10件)

応援の特色

2015年から球団が応援団を募集し、採用された人によって新たに組織が結成されました。
それ以前に使用していた選手の応援歌等は、権利などの関係もあり、全て一新されることとなりました。それから数年経ち、少しずつドラゴンズの応援もファンに浸透してきた気がします。
これから、もっとこれがドラゴンズの応援だ!というものが前面に出てくることを期待しています。

さいごに

チームとしては、ここ5年の成績を見ると、すべてBクラスと厳しい戦いが続いています。
しかし、独自ルートで獲得してくる助っ人外国人選手が活躍する確率も高く、ここに若い選手の力が発揮されれば怖い存在となるチームなのは確かです。
更に、2018年に松坂大輔が加入。キャンプの時から多くのファンや報道陣が押し寄せることによって選手のモチベーションにもなっているようです。
シーズンを通してみると、借金でBクラスという成績ですが、優勝チームの広島に勝ち越すなど来年以降のチームの飛躍に期待が持てると言えるでしょう!
そんな中日ドラゴンズを応援しに、一度球場へ足を運んでみてはいかがでしょうか。